MENU

元小結二子岳・山中武さんが死去!死因や年齢は?小結まで上り詰めた経歴は?

目次

元小結二子岳・山中武さんが死去!死因や年齢は?

元小結・二子岳として活躍した山中武さんが、2026年9月10日に亡くなりました。

82歳でした。

日本相撲協会が9月13日に発表し、死因は肝細胞がんだったことも明らかになっています。

1961年の初土俵から半世紀以上が経っていますが、山中武さんは横綱・大鵬から金星を挙げた実績を持つなど、昭和の大相撲を知るファンにとって忘れにくい存在でしょう。

現役引退後も年寄・白玉、荒磯として長く相撲界に携わりました。

2021年には元幕内・荒鷲さんの断髪式で、山中武さんがはさみを入れる姿も見られています。

82歳という年齢を聞くと長い人生だったと感じる一方、訃報に接すると、昭和の土俵を支えた方々がまた一人旅立ったのだと寂しくなりますね。

ここからは、山中武さんが亡くなった日や死因、葬儀について順番に見ていきます。

元小結二子岳・山中武さんは2026年9月10日に82歳で死去

山中武さんは、2026年9月10日に82歳で亡くなりました。

日本相撲協会が9月13日に訃報を発表しています。

山中武さんは1943年11月15日生まれのため、83歳の誕生日を迎える約2カ月前のことでした。

ニュースで「元小結・二子岳」と聞いて、懐かしい四股名だと感じた方もいるのではないでしょうか。

仕事をしていると、何十年も一つの世界に関わり続けることの大変さを少しは想像できますが、山中武さんは1961年の初土俵から引退後の親方時代まで、長く相撲界を歩んできました。

単に「82歳で亡くなった」という数字だけでは収まらない、非常に長い相撲人生だったことが分かります。

では、山中武さんの命を奪った肝細胞がんとは、どのような病気だったのでしょうか。

元小結二子岳・山中武さんの死因は肝細胞がん

山中武さんの死因は、肝細胞がんです。

日本相撲協会による訃報発表でも、山中武さんが肝細胞がんのため亡くなったことが明らかにされています。

一方、今回確認した情報では、山中武さんがいつごろ肝細胞がんと診断されたのか、どの程度の期間にわたって治療していたのかといった詳しい闘病経過までは明らかになっていません。

ここは気になるところですが、分からない部分を想像で埋めてしまうより、発表されている事実だけを見るのがよさそうです。

訃報を目にすると「最近まで元気だったのかな」とつい気になってしまいますが、病気については本人や家族だけが知っている事情もあります。

山中武さんの場合、現時点で確認できる死因は「肝細胞がん」と押さえておけば十分でしょう。

そして、山中武さんを静かに送り出すため、葬儀についても家族の意向が感じられる形となっています。

元小結二子岳・山中武さんの葬儀は家族葬

山中武さんの葬儀は、家族葬で執り行われます。

日本相撲協会による訃報発表とともに、葬儀についても伝えられました。

小結まで上り詰め、引退後には荒磯親方として部屋を構えた山中武さんだけに、相撲界とのつながりは非常に長いものがあります。

それでも家族葬という形が選ばれたことから、最後は身近な方々を中心に静かに見送られることになります。

華やかな土俵で長年勝負してきた山中武さんが、最後は家族に囲まれて送り出されると考えると、なんとも胸にくるものがありますね。

そして山中武さんの人生を振り返るなら、訃報だけでは終われません。

次は、青森から角界入りし、二子山部屋の関取第1号、そして小結まで上り詰めた山中武さんの経歴を詳しく見ていきます。

元小結二子岳・山中武さんが小結まで上り詰めた経歴は?

山中武さんは1961年1月場所に初土俵を踏み、1967年1月場所で新入幕、同年11月場所には西小結まで昇進しました。

順風満帆だったわけではなく、十両昇進後には骨折による幕下陥落も経験しています。

それでも再び十両へ戻り、幕内、そして三役まで駆け上がったところに山中武さんの粘り強さが表れていますね。

会社員生活でも、一度評価が下がったり仕事でつまずいたりすると気持ちまで沈みがちです。

そんな経験と重ねると、ケガで番付を落としながら小結まで到達した歩みには、かなり心を動かされます。

さらに、横綱・大鵬さんから金星を挙げるなど、記録にも記憶にも残る相撲を見せました。

ここからは山中武さんがどのように番付を上げ、小結までたどり着いたのかを時系列で追っていきます。

元小結二子岳・山中武さんは1961年に花籠部屋から初土俵

山中武さんは中学生のころから相撲部に所属し、1961年1月場所に花籠部屋から初土俵を踏みました。

角界入りのきっかけには、横綱・初代若乃花さんとの縁がありました。

中学卒業後、相撲部の先生と再会した山中武さんは、初代若乃花さんから弟子探しを頼まれていた先生に勧誘されたとされています。

1943年11月15日生まれなので、初土俵当時は17歳でした。

17歳といえば、普通なら進学や就職について悩んでいるような年齢です。

その時期から勝敗がはっきり数字に出る大相撲の世界へ飛び込んだのですから、なかなか真似できる決断ではありません。

そして、この入門が山中武さんと二子山部屋との長い関係につながっていきます。

元小結二子岳・山中武さんは二子山部屋の関取第1号に

山中武さんは1964年11月場所で十両に昇進し、二子山部屋の関取第1号となりました。

初代若乃花さんが1962年に引退して年寄・二子山を襲名し、二子山部屋を創設すると、山中武さんも新しい部屋へ移っています。

ところが、せっかくつかんだ十両昇進後に骨折し、幕下へ陥落しました。

仕事で例えるなら、大きな昇進を果たした直後に長期離脱を余儀なくされるようなものです。

かなり心が折れそうな展開ですが、山中武さんはそこで終わりませんでした。

1966年3月場所に十両へ復帰し、同年5月場所には四股名を若二子から二子岳へ変更。

ここから「二子岳」の名前で、さらに上の番付を目指していきます。

元小結二子岳・山中武さんは1967年に新入幕し最高位は西小結

山中武さんは1967年1月場所で新入幕を果たし、同年11月場所には西小結まで昇進しました。

その後も1968年3月場所と5月場所で西小結を務め、三役在位は計3場所です。

1961年の初土俵から約6年で小結まで上り詰めたことになります。

しかも、その途中には骨折による幕下陥落もありました。

出世のスピードだけを見るより、一度後退してから再び上がったところに山中武さんらしさを感じます。

会社でもずっと右肩上がりのキャリアなんて、実際にはそうそうありません。

うまくいかない時期を挟みながら前へ進んだ経歴を見ると、半世紀以上前の力士なのに妙に親近感がありますね。

そして、小結という肩書だけでは山中武さんのすごさは語り切れません。

昭和の大横綱を破った一番も残されています。

元小結二子岳・山中武さんは大鵬を破り金星を獲得

山中武さんは1969年11月場所で横綱・大鵬さんを破り、自身唯一となる金星を獲得しました。

決まり手は蹴返しです。

大鵬さんとの幕内対戦成績は1勝7敗でしたが、その「1勝」が横綱在位中の大鵬さんから挙げた金星でした。

何度負けても、たった一度の勝利が何十年後まで語り継がれる。

スポーツの面白さがぎゅっと詰まったような一番ですね。

山中武さんは体重113キロとされ、現代の幕内力士と比べると小柄な部類ですが、内無双や下手投げなど多彩な技を武器にしていました。

「体格で不利なら技で勝負する」というスタイルだったことがうかがえます。

大鵬さんからの金星だけでなく、長期間にわたって幕内で戦い続けた数字を見ると、山中武さんの実力がさらに分かりやすくなります。

次は、通算561勝を記録した山中武さんの成績と、特徴的だった取り口について詳しく見ていきます。

元小結二子岳・山中武さんの成績や得意技は?

山中武さんは通算561勝を挙げ、幕内には57場所在位した実力派の力士でした。

さらに技能賞1回、大鵬さんから金星1個という実績があり、数字だけ見ても長く第一線で戦っていたことが分かります。

一方で、山中武さんの魅力は勝利数だけではありません。

現役時代は178cm、113kgとされ、大柄な相手に対して左四つや下手投げ、内無双、足技などを駆使して勝負していました。

体格差を技術でカバーするタイプだったと考えると、仕事でも「力押しだけが正解じゃないよな」と妙に納得させられます。

1968年11月場所には10勝を挙げて技能賞を獲得し、翌1969年11月場所には大横綱・大鵬さんから金星も獲得しました。

ここでは、そんな山中武さんの成績と個性的な取り口をもう少し詳しく見ていきます。

元小結二子岳・山中武さんの通算成績は561勝564敗1分

山中武さんの生涯戦歴は、561勝564敗1分30休でした。

現役在位は94場所で、そのうち幕内には57場所在位しています。

幕内成績は376勝460敗1分11休で、三役では小結を3場所務めました。

通算の勝ち星と負け数を見ると、561勝に対して564敗とほぼ五分です。

派手な数字ではないように見えても、厳しい番付社会で94場所も現役を続けたこと自体に重みがあります。

毎月の仕事でも安定して結果を出し続けるのは大変なのに、勝敗が毎日突きつけられる世界で15年以上戦ったと考えると、ちょっと胃が痛くなりそうです。

そんな長い現役生活を支えた武器の一つが、山中武さんならではの多彩な技でした。

元小結二子岳・山中武さんは内無双や下手投げなど多彩な技が武器だった

山中武さんの得意技には、左四つ、下手投げ、内無双、足癖などが挙げられます。

特に内無双や外無双を得意とする技巧派として知られていました。

入門当初から技が多彩だった山中武さんは、その持ち味を伸ばす形で力をつけていったとされています。

178cm、113kgという体格は、大相撲の世界では決して圧倒的なサイズではありません。

だからこそ、真正面からパワーだけで押し切るのではなく、相手の体勢を崩して勝機を作る技術が重要だったのでしょう。

得意分野を伸ばして自分の勝ち筋を作るという考え方は、会社員として働いていても参考になります。

全部できる万能選手を目指して疲れ切るより、「ここなら負けない」という武器を持つほうが案外強かったりしますよね。

その技巧が結果として表れた代表的な実績が、技能賞と大鵬さんからの金星です。

元小結二子岳・山中武さんは技能賞1回・大鵬から金星1個を獲得

山中武さんは1968年11月場所で10勝を挙げ、技能賞を受賞しています。

さらに1969年11月場所では、横綱・大鵬さんを蹴返しで破って金星を獲得しました。

三賞は技能賞1回、金星も1個という記録です。

数だけなら「1回ずつ」と見えてしまいますが、その中身がかなり濃いです。

特に大鵬さんは昭和を代表する横綱だけに、その大鵬さんを倒した一番が山中武さんの経歴に残っているのは大きいでしょう。

また、1974年9月場所では三重ノ海さんとの取組で引き分けを記録しています。

山中武さんの現役時代には、今とは少し違った大相撲の風景があったことも感じさせる記録ですね。

15年以上に及んだ現役生活を終えた山中武さんですが、相撲との縁がそこで切れたわけではありません。

次は、年寄・白玉から荒磯を襲名し、自ら荒磯部屋を創設するまでの引退後の歩みを見ていきます。

元小結二子岳・山中武さんは引退後に荒磯親方として活躍

山中武さんは1976年9月場所を最後に現役を引退した後も、親方として長く大相撲に携わりました。

年寄・白玉を経て荒磯を襲名し、1993年には荒磯部屋を創設するなど、土俵を降りてからも後進の育成に力を注いでいます。

現役時代だけでも15年以上のキャリアがありますが、その後は親方として2008年まで角界に残りました。

力士として結果を出したあと、今度は育てる側に回る。

会社でいえばプレーヤーから管理職になるようなものですが、自分で結果を出すのと人を育てるのでは必要な能力がまるで違います。

しかも山中武さんは自ら部屋を立ち上げていますから、かなり大きな挑戦だったはずです。

荒磯部屋を閉じたあとも元弟子の荒鷲さんとの交流が続いており、2021年には断髪式にも参加しています。

現役引退後の歩みを追ってみると、山中武さんが長年にわたって相撲と向き合ってきたことがよく分かります。

元小結二子岳・山中武さんは1976年に引退し白玉から荒磯を襲名

山中武さんは1976年9月場所限りで現役を引退し、年寄・白玉を襲名しました。

その後、1983年12月からは年寄・荒磯として活動しています。

1961年1月場所の初土俵から数えると、現役生活は15年以上に及びました。

最高位は西小結で、幕内在位57場所、通算561勝という実績を残して土俵を去ったことになります。

スポーツ選手にとって引退は大きな区切りですが、山中武さんの場合はそこで相撲人生が終わったわけではありません。

会社員でも現場の第一線から管理する立場に変わると「同じ仕事なのにこんなに違うのか」と戸惑うものですが、親方への転身はその比ではなさそうです。

山中武さんは指導する側として経験を積み、やがて自分自身の部屋を持つことになります。

元小結二子岳・山中武さんは1993年に荒磯部屋を創設

山中武さんは1993年5月、二子山部屋から独立して東京都国立市に荒磯部屋を創設しました。

現役引退から約17年を経て、自ら弟子を育成する部屋の師匠になったわけです。

荒磯部屋は2008年9月場所を最後に閉鎖されました。

同年11月に山中武さんが65歳の停年を迎えることから部屋を閉じ、山中武さん自身は松ヶ根部屋へ移籍しています。

荒磯部屋を率いていた期間中、弟子を関取へ昇進させることはできませんでした。

華やかな成功談だけを書きたくなるところですが、思ったような結果につながらない時期も含めて山中武さんの経歴です。

部下や後輩を育てた経験があると分かりますが、人材育成は「自分ができるから相手もできる」とはいきません。

約15年間にわたって部屋を維持し、弟子と向き合い続けたことにも、師匠としての一つの足跡が残っています。

そして、荒磯部屋がなくなったあとに関取へ昇進した元弟子が荒鷲さんでした。

元小結二子岳・山中武さんと元幕内・荒鷲は晩年まで交流

山中武さんと元幕内・荒鷲さんは、荒磯部屋が閉鎖されたあとも交流が続いていました。

荒鷲さんは荒磯部屋で山中武さんの指導を受け、部屋の閉鎖後も現役を続けています。

その後、2011年7月場所で十両へ昇進し、さらに幕内まで上がりました。

山中武さんが荒磯部屋を率いていた期間中には関取誕生とはならなかったため、少し時間差のあるうれしい結果だったともいえますね。

2021年2月23日に両国国技館で行われた荒鷲さんの断髪式では、山中武さんもはさみを入れています。

さらに2022年には、荒鷲さんから長女誕生の報告を直接受けたとされています。

部屋という組織がなくなったあとも交流が続いた点を見ると、師匠と弟子という肩書だけでは説明できないつながりがあったのでしょう。

仕事でも部署や会社が変われば関係が薄くなることは珍しくないので、十数年たっても交流が続くのは素敵だなと感じます。

現役時代から親方時代まで見てきましたが、最後に山中武さんの出身地や生年月日、身長、体重など基本プロフィールを整理していきます。

元小結二子岳・山中武さんのプロフィール

山中武さんは、青森県北津軽郡金木町、現在の五所川原市出身の元大相撲力士です。

1943年11月15日生まれで、2026年9月10日に82歳で亡くなりました。

現役時代は身長178cm、体重113kgで、最高位は西小結です。

1961年に17歳で角界へ入り、1976年の引退まで15年以上にわたって現役を続けました。

大鵬さんから金星を挙げた実績だけでなく、引退後に荒磯親方として後進の育成に携わったことも山中武さんの長い相撲人生を語るうえで欠かせません。

プロフィールだけを見ると数字が並んで少し味気なく感じますが、17歳で入門して65歳の停年まで相撲界に身を置いたと考えると、その長さに驚きます。

履歴書の職歴欄に約半世紀ずっと「相撲」と書かれているような人生ですから、なかなか真似できるものではありませんね。

ここからは、山中武さんの出身地や基本情報を分かりやすく整理します。

元小結二子岳・山中武さんは青森県金木町出身

山中武さんは、青森県北津軽郡金木町の出身です。

金木町は現在の青森県五所川原市にあたります。

中学生のころから相撲部に所属し、中学校卒業後に相撲部の先生との再会をきっかけとして角界入りすることになりました。

その先生が横綱・初代若乃花さんから弟子探しを頼まれていたことが、山中武さんの人生を大きく動かしたとされています。

人生はどこで方向が変わるか分からないものですね。

学生時代の先生との再会がなければ「小結・二子岳」は誕生していなかったかもしれないと考えると、人との縁の面白さを感じます。

1961年1月場所に花籠部屋から初土俵を踏み、その後は初代若乃花さんが創設した二子山部屋へ移りました。

では最後に、山中武さんの年齢や本名、体格、現役時代の基本データをまとめて確認します。

元小結二子岳・山中武さんの本名・生年月日・身長・体重

山中武さんの本名は、四股名になる前と同じ「山中武」です。

生年月日は1943年11月15日で、2026年9月10日に82歳で亡くなりました。

基本プロフィールを整理すると、次のようになります。

  • 本名:山中武
  • 四股名:二子岳武など
  • 生年月日:1943年11月15日
  • 没年月日:2026年9月10日
  • 年齢:82歳
  • 出身地:青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)
  • 身長:178cm
  • 体重:113kg
  • 所属:花籠部屋、二子山部屋
  • 最高位:西小結
  • 得意技:左四つ、下手投げ、内無双、足癖
  • 通算成績:561勝564敗1分30休
  • 幕内成績:376勝460敗1分11休
  • 三賞:技能賞1回
  • 金星:1個(大鵬さん)
  • 引退後:年寄・白玉、荒磯
  • 血液型:今回確認した情報では不明
  • MBTI:今回確認した情報では不明
  • 趣味:今回確認した情報では不明
  • 特技:今回確認した情報では不明
  • 好きな食べ物:今回確認した情報では不明
  • SNS:今回確認した情報では確認できず

プロフィールを改めて眺めると、178cm、113kgの体格で小結まで上り詰め、幕内に57場所在位した点が目を引きます。

さらに大鵬さんから金星を挙げ、引退後も荒磯親方として相撲界に携わりました。

派手な記録だけを追うと見落としてしまいますが、山中武さんの経歴から感じるのは、とにかく息の長さです。

仕事をしていると数年続けるだけでも山あり谷ありですが、10代から60代まで同じ世界に関わり続けるのは、それだけで一本の物語になります。

2026年9月10日に82歳で亡くなった山中武さんですが、二子岳として残した561勝、大鵬さんから奪った金星、そして荒磯親方として過ごした年月は、大相撲の歴史の中に残り続けます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次